ストーリー画像-仲間とならやりたいことに挑戦できる。麻痺に負けずに富士登山に挑んだ杉田秀之さんがくれた勇気。
ストーリー画像-仲間とならやりたいことに挑戦できる。麻痺に負けずに富士登山に挑んだ杉田秀之さんがくれた勇気。

仲間とならやりたいことに挑戦できる。麻痺に負けずに富士登山に挑んだ杉田秀之さんがくれた勇気。

富士山登頂の瞬間に。仲間たちに迎えられる杉田さん。(写真提供:J-Workout)

今年と来年は日本でスポーツの大きな国際大会が目白押しです。スポーツは私たちに感動や勇気を与えてくれることもありますが、プレイヤーは時に命に関わるような怪我を負ってしまうこともあります。

一方で、そのような怪我を乗り越えて再びスポーツに打ち込む選手たちを多く目にします。それを見ると、スポーツのようになにか目標を立てそれに向かって努力することは、ネガティブな出来事をポジティブなものに変える力があるのだと感じるのです。

現在31才で会社員の杉田秀之さんは、大学一年生の時、ラグビー部の合宿中の事故で頸髄損傷の怪我を負い、一生車椅子生活になるだろうと医者に告げられました。しかし、治療と長期間のリハビリの結果、杉田さんは杖を突きながらではありますが歩けるようになります。

そんな杉田さんが、当時のチームメイトたちと富士山に登るという計画を立てたのは約1年半前。12年前に行うはずだった富士登山に挑戦する計画を立てたのです。そしてその挑戦が8月23日から24日にかけてついに行われました。

初日はあいにくの荒天、5合目を出発しなんとか6合目まで登った杉田さんに、この天気では登るのは諦めて降りたほうがいいという知らせが届きます。杉田さんはこの知らせを聞いて号泣、それは一緒に準備してきた仲間と一緒に登れないことを意味するからでした。

「6合目で降りたほうがいいと言われたとき、日曜日は晴れる予報だからそこまで待つという選択肢もあったんです。ただそれだと、明日一緒に登るはずだった仲間たちの多くとは一緒に登ることができません。自分だけ登ってもなんの意味もなく、後から登ってくるみんなに何て説明すればいいかわからず、それで悔しくて涙が出てきてしまったんです」

登山成功後に、KEEN本社でインタビューを受ける杉田さん

なぜ杉田さんは泣くほど悔しがったのか、その理由はそもそも杉田さんが富士登山を決意した背景「仲間との約束」があったからでした。そして、仲間たちに支えられ杉田さんは登山を成功させるのです。

仲間がいたから登ろうと思えた

杉田さんが怪我をしたのは慶応大学1年生の夏合宿でのこと。練習試合中にスクラムが崩れて怪我をし、ドクターヘリで病院に運ばれました。そこでくだされた診断が頸髄損傷、合宿最終日に予定されていた部員全員での富士登山も中止されました。杉田さんの入院先を訪れた林監督は「杉田が良くなったら、一緒に行こう」と告げます。それから「みんなで富士登山」は部員たちの間で合言葉のようになっていったのです。

しかし、ずっとその思いを持ち続けられていたわけではないと杉田さんは言います。

「怪我をしてしばらくは、自分のことばかりが気になって、仲間と一緒にいたくないし話もしたくないと思うこともありました。1-2年まったく自分からは連絡を取らない時期もありましたね。

それでも、みんなは僕が戻って来られるようにメールを送り続けてくれたり、環境を整えてくれていて…4年生になる時にふと「彼らが卒業してしまったらもう一緒に過ごすことは出来ないんだ」と思い、復帰を決意しました。

もちろんプレーはできないのですが、「杉田が疲れたらいつでも休めるように」と寮に部屋も用意してくれて、試合の分析などの役割、居場所を与えてくれました。

僕もなにか役に立ちたくて、早慶戦を前にモチベーションムービーをつくることにしたんです。過去3年間の試合の映像を見て、メンバーのいいプレーを集めて、出られないメンバーには出場する選手に向けて手紙を書いてもらって、それを編集して映像をつくりました。試合は見事に勝利、僕の映像が役に立ったかはわかりませんが、初めてラグビー部にプレゼンスできたと思えました。」

現役時代、ラグビーボールを抱え突進する杉田さん。

それでも富士山に登るほど回復することは簡単ではなく、富士登山のことを考えることはあまりなかったといいます。

「当時、『怪我して良くなったら富士山登ろう』って、監督も仲間も僕を励ましてくれました。でも、その後いかに頸髄損傷が大変なことかって周りもわかったし、僕もわかりましたから」

リハビリに励む杉田さん

そこからなぜ登山をするという決断に至ったのでしょうか。

「『仲間との約束があるからその時まで登らない』っていう仲間の一人がいて、他の誰に富士山登山に誘われても断っていたらしいんです。

昨年の1月から3月頃、結婚式ラッシュで、月に何度も仲間と顔を合わせていたんですが、会うたびにその一人を中心に「お前の富士山どうなったの?」って揶揄されて。みんなに「手伝うよ」とか「何かあったら担いで登る」みたいなことを毎度毎度言ってもらって、みんなが本気なんだっていうのが伝わって、あとは僕の決意次第だなって思い、「じゃあやろう」って。

意外と軽いノリで始まった挑戦ですが、体に麻痺が残る杉田さんが富士山を登ることは容易ではないどころか非常に難しいことです。どうやってその困難を乗り越えたのでしょうか。

何よりも大事なのは安全

「そもそも僕がどうやったら物理的に富士山に登れるのかもわからなかったので、12年前もガイドをして頂く予定だった三浦豪太さんに会いに行きました。三浦さんは車椅子の方と富士山に登った経験があり、アウトドア用の車椅子があることを教えてくれました。

その車椅子をユニバーサルツーリズムを推進するata alliance(アタ・アライアンス)という団体がサポートしてくれる事になり、昨年の9月に高尾山をテスト登山できることになりました。

2018年、高尾山でのテスト登山で

でも、安全に登るためには他の装備も必要なので、いろいろなメーカーさんに相談させていただいて、その一つがKEENでした。

KEENのサンダルは、術後、車椅子に乗れるようになった時、もともとKEENが好きだった兄が勧めてくれて履くようになりました。車椅子で移動する時に気づかずにつま先を傷つけてしまったり、歩く時につま先を擦ってしまうので、歩きやすさはもちろんですが、つま先がガッチリ守られていることってすごく重要なんです。

テスト登山のときにKEENから登山靴を提供してもらい、今回の富士登山も僕と多くの仲間の足元をサポートしてもらいました。安全のために装備は重要だし、一方で費用面のことも気にしていたので助かりました。」

テスト登山も成功し、本番が近づくとどんどん仲間が増えていったそうです。登山参加者は杉田さんが1年生のときの4年生から4年生のときの1年生まであわせて約80人。中にはラグビーのトップリーグで活躍する選手も。ラグビーというスポーツのチームメイトの結束力の強さを感じます。サポートスタッフもいれると総勢100名程になりました。

杉田さんは30人ほどの仲間とともに金曜日に出発、他の人達は土曜日の早朝から日帰り登山の計画を立てました。その初日に遭遇したのが、冒頭で説明した6合目での荒天だったのです。しかし、この危機も仲間の力で乗り越えることができました。

「仲間にANAのパイロットがいて、詳細な風の予報を取り寄せたところ、4時間ほど登れる時間があるとわかったんです。すべて歩いていくのは厳しいということで、車椅子と歩きを併用しながらなんとか夕方5時に8合目につくことができました。

仲間とともに一歩一歩、山頂を目指す杉田さん(写真提供:J-Workout)

2日目の土曜日は晴天で、朝6時半に登り始め、9合目からは自分の足で歩いたんですが、その辺りでその日に登り始めたメンバーに追いつかれて、休憩している僕にハイタッチしながら約60人くらいが追い抜いていきました。僕も本当にゆっくりですが自分の足で登って、頂上についたら仲間が鳥居のところで待っていてくれたんです。

全員怪我もなく無事登頂!(写真提供:J-Workout)

体力的にはかなりきつかったんですけど、みんながいるのが嬉しくて、嬉しくて。怪我をしてからずっとどこかでチームに迷惑をかけたという引け目というか、「しこり」みたいな物があったのが、その時に解き放たれて、やっとみんなの輪の中に戻れたと思えました。あの時はできなかったことがやっとできた、その思いが強かったですね」

とうとう頂上に辿りついた、杉田さんでしたが、山登りは下に降りるまで気を抜けません。

下りながら仲間との絆を感じる

「下りは車椅子に乗って、何人かがハーネスでつないだ紐で引っ張って、落ちないようにしながら降りていきました。頂上から9合目までは先輩が、9合目から8合目までは後輩が、その後は同期が…、みたいにリレーする形でみんなで引っ張ってくれて。

今回、富士山を登るにあたってロゴをデザインしてもらったんですが、これにも意味があって、みんなそれぞれ人生がある中である接点で交わる、それがラグビーをした時間だと、その後離れちゃうことはあるんだけど、またこうやって再び交わることができるっていう意味を込めました。ハーネスでつながっているときに、改めて仲間とつながっていると実感し、この仲間がいることをうれしく思いました。」

「こんな経験もう一生できないだろうし、この仲間がいてくれるから僕の人生は大丈夫というか、この後に起きるどんなつらいことも乗り越えていけるし、幸せなんだろうなって思えました。

なにより、約100人登って全員が無事に登頂して下山をするって簡単なことではないので、それが実現できたことも嬉しかった。そして、12年前にできなかった『合宿の打ち上げ』ができたことが何より嬉しかったですね、それで本当に完結なので。(笑)」

みんなが「やってみよう」と思える社会に

12年前にやり残したことを仲間とやり遂げ、「人生悔い無し」というまでの達成感を感じた杉田さんですが、今回のチャレンジを通してこれからやりたいことが漠然と見えてきたとも言います。

「僕は怪我で身体が不自由になりましたが、働けているし、今回仲間のおかげで富士山にも登ることができました。でも、障害を持つ人の中には働いたり好きなことに挑戦したりできない人も多い。僕の場合は仲間が背中を後押ししてくれる形で今回の挑戦をしてみようと決意することが出来ました。自分の隣にいる人にサポートしてもらい、また自分もサポートすることで思っている以上に大きなことが出来ると仲間と体現することが出来ました。これはいろいろなことに通ずるものだと確信しています。

今回、車椅子でサポートしてくれたアタ・アライアンスを通じてユニバーサルツーリズムを知って、体の不自由な人でも山に行ったり海に行ったりできる社会や文化がもっと広がったら素敵だなと思いました。バリアフリーはハードを整えるだけでなく、サポートややアイデアといったソフトで実現できることもあると教えてももらいました。だから僕も、ユニバーサルツーリズムのためになにかできたらいいなと漠然と考えています。

今回、車椅子を無償で貸してくれる予定だったんですが、実は今勤めている会社の有志がドネーションをしてくれて、車椅子を買えるだけのお金プラスアルファを集めてくれました。だからそれでオフロード用の車椅子を買って、その車椅子と登山に掛かったお金の残りをアタ・アライアンスに寄付させてもらいました。

そのお金は、障害を持った子どもたちとその家族がアウトドアに触れるための活動に使ってもらえたみたいで、僕も今回の富士登山で人生が大きく変わりましたが、同じような経験を子供たちが出来たら嬉しいなと勝手ながら思っています。」

仲間に「やっちゃいなよ」と背中を押されて富士登山に挑戦することにした杉田さん、これからは他の人たちの背中を押せるようなことがしたいと考えているようです。

ユニバーサルツーリズムはここ数年で日本でも広がりつつある考えで、今年の夏、湘南のビーチが車いす対応になるなどして少し話題になりました。障害があってもやりたいことに挑戦できる社会、そのような社会は障害のあるなしに関わらず誰もが生きやすいポジティブな気持ちになれる社会のはずです。

KEENも、そのような社会に少しでも近づけるよう、世界をポジティブに変えるチャレンジをする人たちをこれからも応援していきたいと思います。

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