KEENがサポートを続けるRICE FIELD FES.主催の東田トモヒロさんによるレポート
能登半島地震の発生から約1年、1月23日に輪島市を訪ねました。これは僕にとって念願の訪問となったわけですが、それに先立って地元熊本から無農薬で育てた210kgのお米を送っておきました。
23日の輪島で開催するイベントでの炊き出し用と、寄付を兼ねて。
東日本大震災が起きた翌年に、僕は「Change The World」という任意団体を立ち上げ、支援活動を続けてきました。それは被災地である福島県の南相馬市に位置する「よつば保育園」の子どもたちに、熊本から野菜や果物、お米などの食糧を送るというとてもシンプルなプロジェクトです。
そして数年前その活動の力点を米作りに置いて、長年僕の足元をサポートし続けてくれているアウトドア・フットウェアブランド「KEEN」を展開するキーン・ジャパンと、熊本を代表する農業法人「のはら農研塾」のサポートのもとに、「Rice Field Fes.」という田んぼを舞台としたイベントを立ち上げました。

初夏の田植えと秋の稲刈り、それぞれに参加者を募り、みんなで一斉に手作業で汗を流します。出店ブースやライブなども絡めて、毎回お祭りのような賑わいです。泥まみれ汗まみれになりながら喜びを分かち合い、そうして収穫したお米を被災地に送る。決して大掛かりなものではありませんが、今までにもたくさんの方々がこの活動に共感してくれて、惜しみない協力をしてくださっています。
自分たちで育てたお米が、被災地の子ども達を元気付けている。そう思うと、音楽活動の合間を縫って取り組んでいる不慣れな農作業にも力が入るものです。僕らはこれまで、自分たちも楽しみながら継続してできる被災地支援を心がけて来ました。
そして例年のように収穫の喜びを福島の子どもたちに届けようと計画している最中に、あの能登半島地震が起きました。僕はその直後に、迷うことなくRice Field Fes.で収穫していたお米のうちの150kgを輪島の友人に送りました。
そしてその後仲間たちの快い承諾を得て、昨年の米作りから輪島に送る分も作り始めたのです。今回はそのお米を贈呈しつつ、その一部を使って炊き出しをして、みなさんに楽しんでもらえるような一日にしたいと考えました。


輪島の朝市通りの端にある、小さなイタリアンレストラン「オリゾンテ」は、毎年のように訪れてはライブをさせてもらっているお店です。
オーナーのやすくん(惣領泰久 そうりょうやすひさ)はとても腕のいいシェフであり、素晴らしいサーファーです。能登半島は北陸の中でも、とりわけいい波が現れるエリアの一つです。僕もこれまで何度となくその波に相手をしてもらってきましたし、何よりオリゾンテのライブは毎回心温まるものでしたので、僕は輪島のことを勝手ながら身近に感じていました。
奇跡的に火災こそ免れたものの、店舗兼自宅の建物は全体的に傾いてしまい、やはり地震の被害を大きく受けました。そのため、奥様と子どもたちは金沢市内にある「みなし仮設」での生活を余儀なくされています。やすくんは一人輪島に残って、地域のボランティアなどの復興活動と並行して、かろうじて営業出来る状態にあるお店を続けて来ました。


これまでの一年、僕らは主に電話やメールでのやりとりを続けてきました。その間一度だけ、能登の付け根にある羽咋市でライブをやった事があるのですが、その時僕は彼ら家族を招待しました。子どもたちも奥様も、送ったお米のことをとても喜んでいてくれていました。
「今年から輪島のお米も作ってるからね。」
僕には彼にそう告げるのが精一杯でしたし、ほんの少ししか話を聞く時間を作れなかったけど、今回はようやくゆっくりと語り合う事ができそうです。
「FREE DAY IN WAJIMA 」というタイトルは、自分の中から自然に生まれたものでした。自由なタイミングで自由にオリゾンテでの1日を楽しんでほしい。僕はライブを、オリゾンテはお米を使ったリゾットとカレーなどの食事を。そして我々のパートナーであるKEEN JAPANはカラフルなスタンプを使ったワークショップといくつかのプレゼントをスタンバイし、輪島の人たちを迎え入れようと考えました。もちろん全て無料です。
そしてようやくその日が来たことを、僕は心の底から嬉しく思いました。遠くからの支援もとても大切ですが、直接会って触れ合うことが持つ意味は、なにものにも代え難いと思うからです。
のと里山空港からオリゾンテまでは約30分。それまでの道のり、特に川沿いの景色は痛々しいほど変わり果てていました。しかし到着してみると、店内に漂うあの穏やかな空気とオーナーやすくんの笑顔だけは変わっていませんでした。
福岡のある方が、前もってたくさんの野菜などを送っていただいてたのにはとても感激しました。さらにこの日のために愛知から駆けつけてくれた私の友人夫妻は、箱いっぱいのキャベツを数箱持参して来てくれて、やすくんもお店のスタッフの方々もとても喜んでいました。
「少しでも誰かの役に立てたら」、それは誰もがきっと心の何処かに持っている気持ちなのだと思います。


ライブのサウンドチェックを終えて、僕はやすくんのキッチンを手伝いました。リゾット用のチーズを粉状にすり下ろすという大役を仰せつかったからです。そうこうしているうちにゆっくりと、保育園のお迎え帰りの親子や学校から帰って来たばかりの子どもたちが集まり始めました。そしていつの間にか会場は賑やかな雰囲気に包まれています。
KEENが開催したワークショップの席はあっという間に埋まった様子で、子どもたちは夢中になってトートバックに様々な形や色のスタンプを押しています。彼らのその明るい笑顔は、まるでいくつもの花が咲いているかの様に目に映りました。



カレーやリゾットも次から次に注文が入ります。途中現れた数名の中学生の食欲には驚かされましたが、その逞しさを見てなんだかとても明るい気持ちになりました。
冷たい北風とそれに伴って降っていた雨は、いつの間にかおさまっています。オリゾンテにはホッとするようなあかりが灯ったようでしたが、皮肉なことにその日、真横の家屋では業者の方々による解体作業が進められていました。その対照的とも思えるコントラストは子どもたちの目にどんなふうに写っているのでしょうか。あの激しい地震と火災に襲われて、すっかり元の姿を失ってしまった輪島の朝市通りに、子どもたちの声がどこまでも響いていました。




翌日はやすくんの車で、地震や水害の被害が著しかったエリアを見て回ることにしました。地震と水害の爪痕を自分の目に焼き付けておきたかったのです。
まずはやすくんの友人で、僕のライブにも何度も足を運んでくれた、ある米農家の方の田圃の現状を見に行きました。その彼は米に特化した40代の農家としては、この辺りではほとんど唯一の人物だったそうです。あの壮絶な水害に遭うまでは。
おびただしい量の土砂が流れ込んだと思われる彼の田圃は、全くと言っていいほどその形をなしていませんでした。ビニールハウスは歪んでしまっていて、農機具などを収納する小屋も傾いたままです。管理機やトラクター、コンバインなども土砂や流木や草などが絡んだまま放置されています。いかに物凄い浸水だったかを、それらは無言のうちに物語っていました。
これからの輪島の米生産を牽引するはずだった彼の仕事は、あの大雨によって一夜にして奪われてしまったのです。前日その彼と話をする機会がありましたが、僕にはかける言葉はなかなか見つかりませんでした。ライブの後に「少し元気が出ました」と言ってくれた時は救われた様な気持ちになりましたが、彼のためにできることが見当たらず、思い出すたびに今でももどかしさを感じるばかりです。聞けば10年以上をかけて切り拓いてきた米農家の道にようやく光明が差した、まさにその時だったそうです。田んぼが元の状態に戻るまでに、5年ぐらいはかかると言われたと言います。この様な立場に置かれてしまった人たちは他にもたくさんいらっしゃると思いますが、他の地域に住む僕たちに、これから何ができるかを改めて問われているように思えてなりませんでした。
僕らはそこからさらに足を伸ばして、海沿いの道を珠洲市まで出かけました。それは想像以上に胸が締め付けられるような光景の連続でした。道路などのインフラは臨時的に確保されてはいるものの、手付かずのまま残されているエリアがあまりにも広範囲に及んでいました。地震の後の水害で山肌があらわになった場所など、いったい幾つあったでしょうか。潰れたまま残された家屋や建物、そしてそれらがある場所はこれからどうなってゆくのでしょうか。まるでほんの数日前に災害が起こったかのように思える光景が、次から次に目の前に現れるのです。
何を持って復旧復興とするかは、地域差や個人差がある以上一概には言えないかもしれません。しかし能登においては、その道のりが長く険しいものになることは間違いない様に思われて、自分の無力さを痛感しないわけにはいきませんでした。



しかし僕らには横のつながりがあります。それぞれは遠く離れていたとしても、音楽や旅、サーフィンやカルチャーなどを通して結ばれた「縁」を、これまで最も大事にして来ました。
能登にもやはり他のどの地域とも同じように、長い間そこに愛着を持って暮らして来た人たちがたくさんいます。悲しさや、不自由さを抱えてそれでもなお生きる人々に、時間をかけて少しでも寄り添えたらと改めて思いました。
これから冬が過ぎて春になる頃、僕らのお米作りが始まります。時々能登の風景を思い出しながら、自分たちの田んぼと向き合いたいと思います。あの日に見た輪島の子ども達の、花の様な笑顔がある限り。
とても小さいことしかできませんが、僕らが立ち上げた「一般社団法人Change The world」は、これからも輪島との繋がりを大切にして、KEEN JAPANのように共感してくれる企業や個人と連携しながら、米づくりを通して被災地をサポートして行きたいと思います。
一般社団法人 Change The world 代表理事 ミュージシャン 東田トモヒロ

写真:福地波宇郎